「・・うぅ〜、気持ちいい〜。」

 

浴槽につかり、天井を見上げながら太助は声をあげた。

風呂に入るまでキリュウの試練で体を動かしていたからか、太助の体を心地よい脱力感が支配している。

キリュウと太助の、双方の誤解が解けてから既に1ヶ月ほどが経ち、太助はとても充実した日々を送っていた。

多分、こういうの幸せっていうんだろうなぁ・・・時々、そう思ったりさえもする。

最近はキリュウの試練にも慣れてきていたし、なによりキリュウと二人でいることが自然になってきていた。

それが太助には言いようもないほど嬉しいのである。

口では上手く言い表せないが、キリュウと一緒にいると妙に落ち着く自分に太助は幾度となく気づいていたのだった。

それに最近こんなふうにぼーっとしていると知らず知らずのうちにキリュウのことを考えてしまう。

そして、そんなとき目を閉じると決まってキリュウの姿が浮かんでくるのだ。

この頃は毎日のようにキリュウの笑顔を見ている太助であったが、初めて見たあの時の微笑みは太助の瞼の裏に焼き付いていた。

そして、キリュウの柔らかな手を握りしめた、あの感覚も・・・・

 

ザバッ

 

・・・・・しばらくして浴槽から浮かんできた太助の顔は、のぼせたわけでもなく紅潮していた。

 

 

 

  

 

ずっと一緒に・・万難地天!

〜 Give me your pain 〜

後編

 

 

 

 

 

 

 

 Scene1

 

「・・・うぅ〜・・・・」

なんかいろいろ考えてたらホントにのぼせちゃったみたいだ。

頭が痛い。足もふらふらする・・・・・

「はぁ・・・・」

あの時のことを思い出すだけでのぼせた顔がもっと火照る気がする。

普通なら俺はあんなことできないし、しようとも思わない。

それが、とっさのこととはいえ、キリュウの手を握ったのが今でも信じられなかった。

俺は視線を落とすと自分の手の平を見つめた。キリュウの手を包み込んだ手の平を・・・・・・

 

「主殿、どうかしたのか?」

 

驚いて前を見るとキリュウが思いのほか近くに立っていた・・・っていうか目の前だ。

少し心配するような表情で俺を見つめている。

俺はというと、狼狽と緊張でもう真っ赤になってしまっていた。

「いいいいいや、なんでもないっっっ!!!」

思わず飛び上がった。と、足がもつれて後ろ向きに壁に激突する。

ゴンッ!!!

壁と頭が衝突してめちゃくちゃ痛そうな音をたてる(実際痛かったけど)

まったく、俺なにやってるんだか・・・カッコ悪いなぁ・・・・・・

ちょっと心配になってキリュウを見ると、可愛く・・・としか言いようのない仕草でクスクスと笑っていた。

「・・・大丈夫だったか、主殿?」

「まぁ、これも試練だから・・・」

この頃キリュウは丸くなってきたと思う。

今のセリフだって少し前ならキリュウが言うはずの言葉だ。

笑うようになっただけじゃない。俺にこんな優しい言葉をかけてくれるなんて2ヶ月前には考えられなかった。

「・・・主殿、本当に大丈夫か?顔が真っ赤だぞ、風呂でのぼせたのか?」

言って俺の顔を覗き込む。

キリュウのことだからホントにわかってないんだろうなぁ・・・・・

俺の顔が赤いのはのぼせたからだけじゃないと思うんだけど。

「大丈夫、少し休むよ。」

少し視線をずらすようにして答えると俺は立ち上がった。

と、思ったのも束の間でまたすぐに腰の力が抜けてしまう。倒れそうになった俺をキリュウが支えてくれた。

「ご、ごめん、キリュウ。」

「別にかまわない・・・それより主殿、一人で歩けそうか?」

「ああ、大丈夫・・・・」

心臓がばくばくと音をたてていた。このままキリュウに支えられていたら気づかれてしまいそうだ。

ちらと横目にキリュウを見るとちょうどキリュウと目があった。キリュウのほうが背が低いから自然に上目遣いになってる。

なんていうか・・・めちゃくちゃ可愛い。

不謹慎なのはわかってるけど、この頃ホントにキリュウが可愛く見える。

最初に会ったときは『綺麗』とは思っても可愛いとは思わなかったんだけど・・・・

 

「・・ありがとう、キリュウ。もうホントに大丈夫だから。」

そう言うと俺はキリュウから体を離した。

ちょっともったいない気もするけど、いつまでもくっついてるワケにもいかないし・・・・

 

俺はふらふらとした足取りでリビングに入るとソファにどっかりと腰をおろした。

しばらくの間ぽけっとしていると、少しずつ頭が冷えてくる。

「・・そろそろ晩メシつくんなきゃな・・・」

時計の針はもう6時を指している。キリュウは風呂に入ったみたいだからその間に作ってしまおう。

 

・・・トントントン・・・

 

実は料理も含めて家事一般が得意なのは俺の秘かな自慢だったりする。

っていうか小学生の頃から一人で暮らしてきたから、当然と言えば当然なんだけど。

なんとはなしに、俺はふと包丁を動かす手を休めた。

料理なんて一人暮らしの頃は面倒だったし、作るときも流れ作業だったけど、やっぱ食べてくれる人がいると違うと思う。

キリュウにおいしく食べてもらいたいし、喜んでもらいたい。自然と料理するのにも力が入る。

「・・・キリュウがおいしいって言ってくれるといいんだけどな・・・」

 

無意味に気合いを入れ直すと、俺は料理を再開したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Scene2

 

私は自分の部屋のベッドに寝転がって、窓の外の夕日を見ていた。

「・・綺麗だな・・・・」

遠くの山も、雲も、景色全部が紅く染まって、私は心からそう思った。

何百年たっても、遠く離れたこの国にいても、まったく同じ。

さらにずっと先、幾千年の時を経てもあの紅い光は変わらずに大地を照らしているのだろう。

私と同じだ。主に試練を与え続けるのが私の役目、それはいつまでも変わることはない。

けれど・・・夕日は変わらなくても、それを見てどう感じるかは人によって違う。

私も、ただ嫌われるだけじゃない。受け入れてくれる・・・必要だと言ってくれる人もいる。

主殿はそれを教えてくれた。幾千年も生きてきて、こんなに落ち着いた気持ちは初めてだ。

・・・本当に主殿は優しい、優しすぎて、私は逆に不思議に思ったくらい・・・・

 

 

「クシュン!」

 

・・・・さっきまで外で主殿に試練を与えていたからだろうか、少し汗ばんだ体にはこの冷え込みは辛い。

「風呂に入るか。」

私はベッドから起き上がった。最近わかったのだが、この『日本』という国は四季の移ろいが激しい。

少し前まではちょうどいい、過ごしやすい気候だったのだが・・・・・

ともあれ、私は寒いのも・・・暑いのも苦手だ。これからどれだけ寒くなるのかと思うと、気が重くなる。

 

「・・・おや?」

階段を降りると、ちょうど主殿が廊下を歩いていた。

だがその足取りは定まらず、視線もどこを見ているのかはっきりしない。

「主殿、どうかしたのか?」

少し心配になって話しかけたのだが、主殿は私に気づくなり心底驚いた表情をすると後ろにのけぞった。

ゴン!!

足がもつれたのか、大きな音をたてて主殿は壁に激突した。その様子がおかしく、私は思わず笑ってしまった。

だが本当に痛そうに頭をさすっている主殿を見て、急に心配になってしまう。

「・・・大丈夫だったか、主殿?」

「まぁ、これも試練だから・・・」

ふぅ、良かった。大したことはないようだ。そう考えて、私はまたも微笑んでいる自分に気がついた。

やはり私は変わったのかもしれない・・・・でも、そうだとしたら、きっと私に笑うことを教えてくれたのは主殿だ。

その主殿はまだ頭が痛むのか廊下にうずくまったままだった。心なしか顔が赤い。

「・・・主殿、本当に大丈夫か?顔が真っ赤だぞ、風呂でのぼせたのか?」

「大丈夫、少し休むよ。」

そう言って立ち上がった主殿は、何故かそっぽを向いていた。

何か気に障ることでもしただろうか・・・?

だが考える暇もあればこそ、私はまた倒れそうになった主殿を支えなくてはならなかった。

「ご、ごめん、キリュウ。」

何故か謝る主殿、やはりいつもと違う気がする。本当に大丈夫なのだろうか・・・?

「別にかまわない・・・それより主殿、一人で歩けそうか?」

「ああ、大丈夫・・・・」

主殿は俯いたままだ。本当に心配になった私は、思わず主殿の顔を覗き込んだ。

一瞬、主殿と目があった。胸がとくんと高鳴る、なんなのだろう、これは・・・・・

 

「・・ありがとう、キリュウ。もうホントに大丈夫だから。」

言って、主殿はすっと私から離れた。途端に急に寒くなったような、そんな気がする。

リビングに入る主殿の背中を見ながら、私は首を傾げた。

・・・・今の気持ちはなんだったのだろう・・・・

だが、しばらく考えてもわかりそうにない。

それどころかじっとしていたのが悪かったのか、急に寒気を感じてまたくしゃみをしてしまった。

(早く風呂に入ろう・・・)

私は足早に風呂場に向かって歩いていった。

 

 

 

 

パタン

 

風呂から出て、私はまっすぐに台所に向かった。予想どおり、扉を開けると主殿が机の上に料理を運んでいるところだった。

私は椅子に腰掛けると目の前の皿をじっと見つめた。

その白い麻婆豆腐のようなものは、私にあまり思い出したくない過去を思い出させる。

以前、これと似た『カレー』というものを食べたとき、あまりの辛さに取り乱してしまったことがあった。

今はもう主殿も私が辛いものが苦手だと知っているから大丈夫だと思うのだが、あの時、主殿に笑われたのが今になっても恥ずかしい。

しばらくそのまま固まっていると、見かねた様子で主殿が声をかけてきた。

「大丈夫だよ、キリュウ。それはカレーみたいに辛くないから。」

・・・うう、主殿も『カレー』のときのことを思い出していたのだな・・・・

「『クリームシチュー』っていうんだ。食べてみてくれよ。」

「・・・・わかった。」

答えると、私はスプーンで少しだけすくった『クリームシチュー』を口に入れた。

「どう、キリュウ?」

「おいしい・・・主殿は本当に料理がうまいな・・・」

お世辞ではなかった。『カレー』とは違って辛くなく、それでいて甘すぎず・・・・

私はスプーンを握る手を空中にとどめて、目の前に座る主殿を見た。

主殿といるといつも感じることなのだが、とても気持ちが落ち着く。

だから私は食事の時間が好きだ。主殿が作ってくれる料理はいつもおいしいし、暖かい気分になれるから。

「・・・キリュウ、どうかした?」

「え・・なんでもないが・・なぜだ、主殿。」

「う〜ん、そう言われるとわかんないけど・・・最近、キリュウってよく笑うようになってきたよな。」

・・・どうやら自分でも気がつかないうちに微笑んでしまっていたらしい。

頬が熱くなっていくのを感じる。きっと主殿に変に思われてしまっただろう。

「でも俺、キリュウが笑うようになってくれて嬉しいよ。」

「・・・え?」

「ほら、最初のうちは全然笑ってくれなかっただろ。だからちょっと嬉しいかな、って・・・」

少し照れたのか、頬を赤くしてそう言うと主殿は少し微笑んだ。

その瞬間、私はさっきとおなじ・・・いや、それ以上におかしな気持ちになった。

この気持ち・・・この気持ちは・・・・

 

 

食事が終わって、私は部屋に戻った。

バタンと閉めたドアにもたれて、目は開いていてもなにを見ているのかわからない。

それなのに、心臓だけは走った後のように高鳴っていた。

 

本当は・・・心あたりがないわけではない・・・・

なぜ主殿のことばかり考えてしまうのか・・・・なぜ今、こんなに胸が苦しいのか・・・・

そこまで考えて、私は体を震わせた。それは恐ろしい想像だった。主殿ともいつかは別れてしまうのに。

思わずベッドに座り込む。気がつくと、視界が涙でぼやけていた。

主殿と別れる・・・考えただけなのに、とても、とても不安で、苦しくて・・立っていることさえできない。

 

・・・・私は・・・きっと主殿が好きなのだな・・・・・

 

初めての感情だったが、私は知識として知っていた。

それが精霊に禁じられた感情であることも・・・・・・

想像ではなく、いつかは実際に主殿と別れる日はやってくる。私は・・こんな気持ちで、それに耐えられるだろうか・・・・・

ベッドに横たわると、ぎゅっと毛布を抱き締める。耐えられるはずがない、乗り越えられるはずがない。

・・・所詮、私は精霊。

精霊だからこそ、幾千年の時を経て主殿に巡り会えた。

けれど、精霊は決して老いない、死なない・・・・人と結ばれることも・・・絶対にない・・・・

私は・・・精霊だから・・・人ではないから・・・・

だから、主殿を好きになっても、辛いだけだ。いつか来る別れを越えられなくなる。

私は必死に自分に言い聞かせた。

でも、思わないわけじゃない。なぜ私は精霊なのだろう。なぜ人として生まれて、主殿と出会えなかったのだろう・・・・

 

 

 

窓からはずっと昔から変わらない、月の光が射し込んでいた。

あの夕日と同じ、これから何百年、何千年たっても、この月の光は変わることなどないのだろう。

そして、私もどんなに年月がたっても、今と変わらない姿で月を見上げているのだ。

主殿がいない世界で・・・・・

 

 

・・・毛布に顔を埋めると、私は・・・静かに嗚咽した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Scene3

 

「そういえばさぁ。最近キリュウちゃんが来ないけど、どうかしたのか?」

学校での昼休み、俺のとなりで購買のパンをパクつきながら、たかしは急にそんなことを言った。

「さぁ、別にどうもしないだろ。」

大体、学校に来てなくても俺の家に来たときとかに会ってるんだから、わざわざ聞かなくてもいいだろうに。

そんなことを考えてると、すぐ後ろから山野辺の声がした。

「そっか、可哀想になぁ・・・」

言ってる意味はよくわからなかったけど、気がつかれないように近寄るのはやめて欲しい。

あんまりいい気持ちはしないし、なにより驚くじゃないか。

・・・まぁ、それを狙ってるのかもしれないけど。

「そうだな山野辺。まったく同情しちまうぜ。」

ん?たかしのやつも一緒になって、なに言ってんだ。

「おい、お前ら二人とも何言って・・・」

嫌な予感を感じて振り返ると、案の定たかしと山野辺がにやけながら俺を眺めていた。

たっぷり時間をとった後、申し合わせたように声を合わせる。

 

「「キリュウ(ちゃん)にふられたんだろ。」」

 

・・・こいつら・・・・

俺ってば、絶対に友人のチョイスを間違ったな。そう確信すると、俺は反論すべく口を開いた。

「だから何度も言ってんだろ、そんなんじゃないって!!大体俺はまだ告白してないんだか・・ら・・・」

止められない勢いのまま、いらんことまで言いかけて・・・いや、むしろ言って俺は固まった。

・・・アホか、俺は。

一瞬、耐えられないような沈黙がその場に立ちこめ・・・・

 

・・・俺はとことん冷やかされたのだった。

 

 

 

 

 

 

「・・ふぇ〜、やっと終わった・・・」

学校からの帰り道。山野辺達の冷やかし地獄から解放され、俺は心から安堵のため息をもらしていた。

結局、学校が終わるまで俺はからかわれ続けた。あいつらも本気でやってるわけじゃないと思うけど・・・・

「・・・はぁ。」

もう一度、大きくため息をつく。俺だって別に今のままでいいって思ってるわけじゃない。けど・・・

昼休みにたかしに聞かれたときには、『キリュウはなんでもない』なんて答えたけど、ホントは俺もおかしいって思う。

普段の様子もだけど、なにより変なのは試練が易しすぎるってこと。

学校に来なくなったのも多分俺に試練を与えなくてもいいからなんだろう。

けど俺だってもう何ヶ月も一緒に暮らしてきて、少しはキリュウのことがわかってきたつもりだ。

あんなになんにでも一生懸命なキリュウが、よりによって自分の役目をいい加減にするなんてことがあるだろうか。

「・・・・・・そんなこと、あるわけないよなぁ・・・」

小さく首をふると、俺は口の中で呟いた。

でも、最近のキリュウは会ったばっかのときみたいに俺に素っ気ない。

・・・だから、はっきり言って俺は凄く淋しい。この辛さは前に感じたものとは、きっと、違う。

こんなふうになって初めて気がついた。俺のこの気持ちが、多分・・・『好き』ってものなんだって。

俺は前みたいにキリュウに微笑んでほしい。俺の作った料理をおいしいって言ってほしい。

それって、きっと『好き』ってことなんだろう。

キリュウは俺にとって・・・いつのまにか、すごく大切なひとになってたんだって・・・・今頃になってわかった。

 

「・・・俺は・・・なにやってたんだろ・・・」

 

ひとりごち、空を見上げる。

自分の大切なひとが悩んでるってわかってたのに、なんで俺は助けてあげられなかったんだ?

キリュウの雰囲気が、前と違って話しかけれなかったから?

・・・・違う、それは俺が弱かったからだ。

俺はキリュウと出会ってから、ずっと『試練』を受けてきた。

でも、俺はなんのためにキリュウの試練を受けてきたんだろう。

体を鍛えたかったわけでも、心を強くしようと思ってたわけでもない。

俺にとって『試練』っていうのは、俺とキリュウを結びつける絆みたいなものだったのかもしれない。

キリュウと一緒にいるため・・・初めてできた家族を失いたくない・・・・そう思って、俺はずっと耐えてきたんだ。

「バカだな、俺・・・」

耐えるだけじゃ、せっかくの試練もなんの役にもたたないのに。

ホントに、俺はバカだ・・・自分の気持ちさえ、キリュウに伝えられないのだから・・・・

 

自分の家の屋根が見えてきて、俺は思考を中断した。

なんであれ、キリュウがいなくなったわけじゃない。家に帰ればそこにいるんだから。

そんなふうに考えながら、家の前まで来る。歩きながら、俺は首だけ横に向けて柵越しに家を覗いた。

瞬間、目を細める。玄関の前に座ってるのは・・・キリュウじゃないか?

俺は少し駆け足になると、急いで庭まで上がった。玄関まで早足で歩きながら、目の前のキリュウを見る。

キリュウは厚手の服とマフラーにくるまるようにして、玄関の前に座っていた。

口にあてた両手が少し震えてる。もしかしたら、結構長い時間ここにこうしていたのかもしれない。

少し急いだからか、俺の吐く息が白い。キリュウは寒いのが苦手なのに、なんでこんな所にいるんだろう。

「ただいま、キリュウ。」

「・・・・・うむ・・おかえり、主殿・・・」

視線を横にずらしたまま、その瞳は俺を映さない。無言のままおもむろに立ち上がる、キリュウ。

もとから白い頬がまっ白になってるのを見て、胸が痛んだ。

 

 

「なあキリュウ。なんであんな所に座ってたんだ?」

リビングのソファに座って、キリュウは俺が渡した湯呑みに口をつけていた。

俺の問いに、少しだけ哀しそうな顔をする。それでも答える気はないようで、そっと眼を伏せた。

・・・俺のこと待っててくれたのかな・・・

一瞬、そんな都合のいい推測が頭をよぎる。そんなわけないってわかってるから・・・だから辛い。

静かにお茶をすするキリュウを前にして、口を開くこともできない俺。

なにより、そんな自分の不甲斐なさに腹が立った・・・・ホントに、俺にはなにもできないんだろうか。

言いようもない哀しみが俺を襲う。悪いのは弱い俺だってわかってるのに、理不尽かもしれないけど・・・・

 

「・・・すまない、主殿。」

後ろ向きな思考の淵に沈みそうになってた俺を救ったのは、キリュウの一言だった。

俯いたまま、呟くように言ったその言葉は俺を訝しがらせる。なんでキリュウは謝ったんだろう?

でもそれを聞こうとして躊躇しているうちに、キリュウは逃げるようにリビングから出ていってしまった。

足早に階段を上がる音が聞こえてくる。俺は追いかけようとして、止めた。

仮にそうしたとして、俺にはキリュウを問いつめることなんてできはしないから。

それはキリュウを傷つけたくないとか、そういうことじゃない。ただ俺が傷つきたくないからなんじゃないかって思う。

キリュウ自身の口からキリュウの気持ちを知るのが怖い。ほんとうに、俺は・・・・なんて弱いんだ。

 

天井を見上げて、顔の上に手の平を置いた。指の隙間から見える天井の向こうには、もちろん空があるんだろう。

今にも雪が降ってきそうな灰色の空は、俺の心を表してるみたいだった。

いや、それともキリュウの心だろうか・・・・・

「・・・・・」

ずるずるとソファから背中をずらしながら、俺は声にならないため息を洩らした。

 

・・・ひとを好きになるってことが、こんなに苦しいものだなんて思いもしなかった・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Scene4

 

キリュウは悩んでいた。いや、自らの心に次々に去来するいくつもの感情の、どれに従えばいいのかわからなかったと言ったほうが正しいだろう。

太助への恋愛感情に気づいてから、彼女は一歩も前進できずにいた。もちろん太助に想いを伝えることなどこれっぽっちも考えていない。

自分にそんなことが許されるとは思わなかったから・・・しかし、今さら太助への想いを諦めることなど、それ以上に無理なことだった。

どんなに努力しても、なにをしても、その気持ちをごまかすことはできない。

(ずっと主殿の傍にいたい・・・)

切実に、キリュウはそう願う。しかし彼女は万難地天、主の成長を司る精霊である。

主に試練を与え、成長しきってしまったら短天扇に帰らねばならない。

太助との別れの時期を少しでも引き延ばすため、わざと試練を易しくしたりもした。なんの解決にもならない・・・・そう、わかっていても。

だが、自らの役目、存在理由に反して生きることになんの意味があろう。主に試練を与えない万難地天など存在してはいられないのだ。

悩みはまた一つ新たな悩みを生み、それらは無限にループを描いて、彼女をとらえて離さなかった。

 

屋根の上に座り込んで、無表情に街を眺めるキリュウ。

ありったけの衣類に体を包んでいても、寒さが苦手なキリュウにはまだ足りない。

だがその寒さが今の彼女には必要だった。家の中では、悩み続ける自分を止められないから。

両手で唇のまわりをおさえると、はぁっと息を吐く。

「・・・主殿となんか、出逢わなければよかったのに・・・・・」

吹き寄せる木枯らしに身を縮めながら、彼女は小さく呟いていた。

「そうすれば、こんなに辛くはなかったのに・・・・」

頭が埋もれてしまうほどに膝を寄せて、キリュウはじっと座っていた。

 

 

 

・・・・一方その頃。

「う〜ん・・・」

自分が声を出しているのにも気づかず、太助はその困惑しきった視線をまわりに向けた。

もう小一時間もここにいるのに、まだ何にすべきか決まらない。いかんせん選択肢が多すぎるような気がする。

「・・・やっぱ、コレかなぁ・・・・」

自信なげにそう呟くと、目の前のものを手に取った。このことだけに時間をかけてはいられないのだ。

少しばかり悩む仕草をしてみせた後、彼はレジへと向かった。

一歩外に出ると、街にはこの時期限定の即席サンタや無意味に陽気なクリスマスソングがあふれていた。

そう、時はまさにクリスマス・・・・の前日、言い換えればクリスマスイブだ。

プレゼントを買うには少し遅すぎる感もあるが、いざ当日になるまで渡す決心がつかなかったのも太助らしいと言えば太助らしい。

急いで家に帰ると、キリュウに気づかれないようにキッチンへ直行する太助。

この日のために下ごしらえをすませておいた料理を仕上げるためである。

料理を作り終えるまでの十分な時間があるのを確認すると、太助は壁に掛けてあるエプロンを身につけたのであった。

 

 

時が過ぎ、夜の帳が落ちてもまだキリュウは屋上にいた。

両腕を体に回すようにして寒さに耐えながら、夜空を見上げるキリュウ。

冷たい空気のなかの星達はよく映えて、キリュウに昔を思い出させた。

主に嫌われ、役目を果たすことしか考えられなかった頃のことを・・・・

だが、今ならわかる。嫌われていたからこそ、役目を果たせたのだと。疎まれていたからこそ、別れを越えられたのだと。

自嘲を込めてキリュウは呟いた。

「私には・・・もう、どちらもできそうにないな・・・・」

 

「・・よ・・・っと。」

 

「・・?」

キリュウが視線を空から戻すと、視界の端に太助が映った。

「主殿・・・?」

キリュウの呟きに気づかなかったのか、太助は頼りない足取りでなんとかキリュウの近くまで来ると、持っていた箱を差し出した。

「あのさ・・キリュウ。これ、俺からのクリスマスプレゼント・・・・」

わけがわからないといった表情のキリュウを見て、少しだけ苦笑すると太助は言い添えた。

「とりあえず、さ。開けてみてよ。」

促されるままにキリュウはラッピングを外していく。中から出てきたのは、やや厚手のベージュのコートだった。

「・・主殿、これは?」

「現代にはクリスマスっていう贈り物を交換する行事があるんだ。それは俺からキリュウへのプレゼント・・・」

頬を赤くして説明する太助であったが、星明かりのもとではキリュウに気づかれることはなかった。

「そうか・・・ありがとう、主殿。しかし私はなにもあげられるものを持っていないが・・・・」

「・・いいんだ。でも、代わりに少しだけ話さないか?」

控えめに頷いたキリュウを見て取ると、太助はキリュウの隣に腰をおろした。

キリュウの肩が震えているのに気づくと、少しだけ彼女に近づいて、言う。

「・・良ければ、今着てみてくれないか?それ・・・」

太助の言葉に従うように、渡されたばかりのコートを羽織るキリュウ。月と星とに照らされて、キリュウは綺麗に輝くようだった。

「ありがとう、主殿。とてもあたたかい・・・・」

「・・そっか、よかった。」

太助はキリュウの笑顔を久しぶりに見た気がして、心の底から嬉しかった。

そして、決心した。自らのキリュウへの想いを確かめたのと同時に。

「キリュウ・・・俺、前にキリュウのこと、『家族』って言ったよな・・・・今でも、もちろんそう思う。けど・・それだけじゃないんだ・・・・」

今一度、太助はキリュウを見る。言い尽くせないほど大切な、愛しいひとの顔を・・・・・

「・・・俺は・・・キリュウが好きなんだ・・・・」

とても自然に、その言葉はキリュウに届いた。あまりに突然すぎて、キリュウは戸惑うこともできなかった。

嬉しくないわけはない。嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうなくらいだった。

だが、今キリュウの頬を濡らしているのは、別の理由の涙だった。

「・・駄目なんだ・・・主殿・・・・」

今にも消え入りそうな声。本人のキリュウでさえ、自分が喋っているとは信じられなかった。

失望と驚きが入り交じった表情の太助を見ようともせず・・・いや、見ることができず・・・・キリュウは続ける。

「・・・・私は・・精霊だから・・・人じゃないから・・・・・・」

「・・そんなの、関係ないだろ。」

太助の言葉は静かだが、強い意志を秘めていた。体ごとキリュウに向き直ると、頬の涙を見つめて、言う。

「・・大切なのは、キリュウがどう思ってるかじゃないか・・・・キリュウは俺のこと・・・・その、好き・・・かな?」

キリュウは顔をあげると、真っ赤になった瞳を太助に向けた。太助の目は、果てなく優しい。

・・・心があたたかくなる。冬の夜風の冷たさなど、気にならないほどに・・・・・

そんな自分に罪悪感を抱くとともに、どうしようもなく思い知った。自分の太助への想いの深さを。

「私は・・・主殿、私は主殿のことが・・好きだ・・・でも・・・・・」

「・・・キリュウ・・・・」

キリュウの言葉を聞きながら、太助は必死に考えていた。

自分に何ができるか・・・どうしたら、目の前の、大切なひとの涙を止められるのか・・・・・

「主殿・・・私は、短天扇に帰ったほうがいいのかもしれない。一緒にいる時間が長ければ長いほど、別れられなくなってしまう・・・・」

「・・え・・・」

「でも・・・無理だ。主殿と別れるなんて・・・・考えるだけで辛いんだ・・・・・」

小刻みに震える体と、溢れる涙の両方をおさえるように、キリュウはぎゅっと自分の体を抱き締めた。

その様子を見て、太助は理解した。ずっと、キリュウが一人で悩んでいたことに・・・・・

一つ息を吸うと太助は黙ってキリュウを抱きすくめた。それしか、彼の気持ちを伝えることはできないと思った。

驚くキリュウの耳元で、これ以上ないほどはっきりした意思をこめて囁く。

「・・・精霊の運命なんて・・・俺がどうにかしてみせる。だから・・・ずっと一緒にいよう・・・・」

それは確かに無責任な言葉だった・・・けれどそれ以上に、決意と、心がこもった言葉だった。

・・・・・もしかしたら、それはとても許されることではないのかもしれないけれど・・・・・

「・・・ずっと一緒に・・・主殿・・信じて・・・いいのか・・?」

太助は離れることのないように・・・絶対に、離すことのないように・・・強くキリュウを抱き締める。

「ああ・・・もう・・キリュウに辛い想いはさせないから・・・・だから・・・・」

それ以上は言葉にする必要はなかった。口をつぐみ、瞼を開くと、夜空に白いものが舞っていた。

まるで、それは自分達二人を祝福してくれているように太助には思えた。勝手な思いこみでも、今はそう思っていたかった。

「キリュウ、家に入らないか?せっかくつくったご飯が冷めちゃうからさ・・・」

「・・・・・・・・・・」

太助からは、キリュウの顔が真っ赤なことはわからなかっただろう。

同様に太助も耳まで赤く染まっていたのだが、もちろんキリュウにわかるはずもない。

『・・・もう少し・・・このままで・・・』

その言葉は、どちらが発したものだったろう。

 

空から舞い降りる粉のような雪が、本当に二人を祝福するものかはわからない。

けれど、それは長い間二人のまわりにとどまって、彼らのこれから歩む道を照らしているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

〜FIN〜

 

 

 

 

 

 

 

 


 

よくぞこの無意味に長い文章を読み進めて下さいました。お疲れさまです。

お疲れついでに、ふぉうりんさんの「鍛えて 万難地天!」はいかがですか?(爆)

あわせてご一読なさることをオススメします。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

このSSをもらってくださったたかさん、ふぉうりんさんに感謝の気持ちを込めて・・・

 

 

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