「あれ、小包きてる・・・」

呟くと、少年は郵便受けからエアメールの印が押された小ぶりの箱を取り出した。

年の頃は13,4ほどだろうか、まだあどけなさの残る幼い顔。

だが彼の纏う雰囲気は中学生のそれではなかった。

『薄い氷のような』という表現が似合いそうだ。どこか寒々としていて、乾いた雰囲気がある。

しばらく何をするともなく、小包を見つめて突っ立っていたが、ふいにぷいと踵をかえすと家へと入っていってしまった。

その後ろ姿がなぜだか寂しげに見えるのは、夕焼けのせいだけではないようだった。

 

 

 

 

 

「・・やっぱり親父からか。」

 

ソファに座り、買ってきたコンビニ弁当を目の前に置くと彼・・・七梨太助はおもむろに小包に同封されていた手紙に目を通した。

「まったく、なにやってんだか。」

箱を逆さまにすると、おもちゃのような小さな扇が彼の手の平に落ちた。

太助の父、七梨太郎助の手紙によると、それは心の清い者にしか開けないという不思議な扇であるということだった。

「『この扇がお前に幸せを導いてくれる物であることを願っている』、ね。」

幸せ願うくらいなら帰ってこいよ・・・呟きながら彼は扇を開く。

小さなサイズながら細部まで精巧に作られているそれを見て、太助は少しだけ感心してしまった。

ふと呟く。

「これってこんな簡単に開くものなのか?」

しばらくの間、扇をひっくり返してみたり扇いだりしてみたが何も起こる気配はない。

「・・ま、最初から期待なんかしてなかったけどさ・・・」

(親父のことだ、大方まがい物でも掴まされたんだろ)

あまり深く考えずにそう結論すると、太助は扇を小包に戻しキッチンへと向かった。

コンビニ弁当を電子レンジにいれていると、まだ風呂をいれていないことに気づく。

 

「はぁ・・・メシ食う前に入れておくか・・・」

 

太助の呟きを聞きながら、小包の中でその扇はほのかに光を放っていた。

 

 

 

  

 

ずっと一緒に・・万難地天!

〜 Give me your pain 〜

前編

 

 

 

 

 

 

 

 Scene1

 

「・・・・なんだ、コレ?!」

  

風呂場から帰ってくるなり、太助は間の抜けた声をあげた。

彼の目の前には惨憺たる有様・・・と言っていいかわからないが、とにかく変わり果てたリビングの姿があった。

「一体何があったんだ・・・?」

呆然とした様子のまま、呟く太助。

それくらい、今のリビングの状況は現実離れしたものだった。

全長数メートルの箸が林立し、お人形セットよろしくといった小さなソファが絨毯化した新聞紙の上に転がっている。

極めつけに部屋の隅に置いてあった小さな観葉植物が部屋中をジャングルのように覆っていた。

 

「・・俺、疲れてんのかな?」

言いながら軽く頬をつねる・・・・・・・・・痛い。

太助は何度かぶんぶんと頭を振るとキッチンに向かって歩き出した。弁当をレンジにいれたままなのを思い出したからである。

むろんそれは現実逃避にすぎないのだが、この状況では誰も彼を責められないだろう。

当然のことながら、この時太助の頭の中ではあのヘンテコな扇のことなど冥府の彼方へと消え去っていた。

 

「ふぅ、やっとキッチンにたどり着いた・・・・・って、うわっ!!?」

巨大化した観葉植物の葉をどけて顔を出した途端、背中からなにかに押されて吹っ飛ばされる太助。

冷蔵庫に激突した彼が次に見たものは次々に巨大化する調理用具だった。

それも鍋やフライパンならともかく、包丁やフォークといった物騒なものまでもが太助に向かってその刃先をのばしてくるのである。

「のわああっっっっ!!!!」

間一髪、太助は体をひねるとそれら全てをかわした。案外運動神経が良いのかもしれない。

背中に冷ややかな冷蔵庫の表面を感じる。おそるおそる視線をずらしていくと顔の横にはギラリと光る包丁の刃。

あまりのコトに恐怖すら忘れてしまっていたが、今になってどっと冷や汗が吹き出してきた。

なんとか息を整えると、軽くため息をつく。そもそもなぜこんなことになっているのか?

「・・・・そうだ、あの扇!!」

叫ぶようにそう言うと、太助は急いでリビングにとって返した。

犬小屋大の大きさになっている小包をひっくり返してみるが、案の定扇は見つからない。

途方に暮れて頭を抱えていると、ふと窓のほうに何かが見えた。

(・・なんだ、今の・・・見間違いかな・・?)

だがそう思いつつも、太助は窓に向かっていた。何となく、としか言いようがないがとにかく何かを感じたのだ。

 

ガラガラッ

 

庭を見回すが、誰もいる様子はない。

「・・やっぱり、見間違いだったのかな・・」

そう呟いて踵を返そうとした瞬間、太助は見たことのない少女と目があった。

彼女は家の壁に寄りかかるようにして立っていた。無表情に太助を見つめている。

と、ふいに視線を外すとぷいと横を向いてしまった。瞬間、少女に見とれていた自分に気づき、太助は頬を赤らめる。

 

「・・えっと・・はじめまして。」

 

言ってすぐに気づいたが、それはとても場違いな言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Scene2

 

あの後・・・メチャクチャに散らかったリビングを片づけた後・・・彼女は俺に自己紹介してくれた。

彼女の名は『紀柳』、短天扇(あのオモチャみたいな小さな扇)から呼び出される大地の精霊らしい。

普通ならバカバカしいって笑うんだろうけど・・・・

あんなコトのあった後だし、俺はキリュウを信じることにした。それでキリュウが言うにはキリュウの役目は主に試練を与えること。

つまり、あの物を巨大化したりする能力を使って俺に試練を与えるってことらしい。

まぁ、鍛えてくれるっていうなら断る理由なんかないし、結局俺はキリュウを受け入れるコトにした。

 

 

 

な〜んて思ってたのが懐かしい・・・・

 

「主殿、情けないぞ。」

 

キリュウと暮らすようになってから2週間、俺は毎日キリュウの試練を受け、毎日キリュウのこの言葉を聞いていた。

今みたいに・・・・

「キ、キリュウ、ちょっ、降参。頼むからコイツどうにかしてくれ〜!!」

『コイツ』ってのは俺の上に乗っかってる全長一メートルを越えるアリのこと。

ここまで大きくなるともうアリとは思えない、いくら何でも気持ち悪すぎだ。

「・・・試練だ、主殿。たえられよ。」

「え、おい、キリュウ〜!!!」

俺の叫びもむなしく、キリュウはさっさと家に戻ってしまった。

 

・・・はぁ、なんていうか、見た目はすっごく可愛いのに・・・・って、何考えてんだよ、俺!!!

キリュウはただ純粋に、一生懸命役目を果たそうとしてるんだ。こんなコト考えるなんて最低だぞっ!!

表面上ではそう思っても、知らず知らずのうちに俺の瞼にはキリュウの美しい姿が映し出されていた。

鮮やかな赤い髪に見てると不思議な気分になる瞳、本物そっくりのそれは俺に向かってふっと微笑んで・・・・・

あれ?そう言えば俺。キリュウの笑った顔、一度も見たことがない。

「・・なんでだろ?」

もう2週間も一緒に暮らしてるのに、笑った顔どころか微笑んだところさえ見たことがない。

これって、もしかして・・・・

「・・俺、キリュウに嫌われてるのかな・・・」

そうかもしれない。キリュウは主を選べないし、仕方なく俺と一緒にいるのかも・・・・

あっ、だからいつもあんなに素っ気ないのか?!

思わずがばっと上半身を起こす俺。ふと気づくともうあのアリはどこにもいなくなっていた。

けど今はそんなことなんてどうでもいい。俺は心配で胸が張り裂けそうだった。

なんていうか、キリュウに嫌われるのは絶対嫌だ。せっかく『家族』ができたと思ってたのに・・・・

 

そう、寂しいとか、辛いとか・・・これまでそんなこと思いもしなかったけど、今ならわかる。

ホントはずっと寂しかったんだって。強がってただけで・・・いつも泣きたいくらいに辛かったんだって。

だから・・・だからキリュウには凄く感謝してる。

精霊だって構わない。試練だって、一緒にいられるなら喜んで耐えられる。

・・・けど、キリュウのほうが俺のコト嫌いだとしたら・・・・・・

 

「・・はぁ・・・」

 

ため息一つ、俺は立ち上がると玄関に向かって歩きだした。

うじうじ考えてても仕方ない。とりあえず晩メシ作らなくちゃ・・・そう思ったから。

でも・・・・なんだかその日は遅くまで寝つけなかった。

 

 

 

 

・・・・そういうことで翌日、俺は今かなり眠い。

なんとか授業をこなして昼休みまで耐えてきたけど、そろそろ限界が近づいてる。

はは、キリュウなら「試練だ、主殿。たえられよ。」とかって言うんだろうな。

 

「おい太助、今日はキリュウちゃん来ないのか?」

突然俺に話しかけてきたのはたかし・・・小学生のときからの俺の友人・・・だった。

「さあ、わかんないな。来るとしてももう少し後だろ。」

たかしの問いに、俺は適当に・・・ぶっきらぼうに答える。

ちなみにキリュウは時々学校に来たりもする。休み時間に俺に試練を与えるためだ。

と言ってもキリュウは朝が弱いから来るのは大体2時限か3時限過ぎくらいになるんだけど・・・・ 

 

 

「太助君どうかしたのかな。なんか機嫌悪いみたいだけど・・・」

「違うぞ、乎一郎。太助が機嫌悪そうに見える時ってのは大体何か悩んでるときなんだぜ。」

 

まわりで好き勝手なことを喋っている友人達。いい加減文句を言おうとした瞬間、耳元に悪戯っぽい声が聞こえてきた。

「・・・ほほぅ・・恋煩いかね、七梨君。」

「・・山野辺・・・お前なぁ・・・」

俺の目の前に立ち上がって、いかにも楽しそうといったふうにニヤニヤ笑いを浮かべているのは友人その3、山辺翔子。

もうホントに勘弁してくれ・・・・

「だから!山野辺、そんなんじゃないんだよ。」

「じゃあなんなんだよ、太助。」

間髪入れずに横からたかしが口を挟む。まったくこいつらは・・・・

「・・ふぅ」

そんなふうに軽くため息をつくと、俺は観念して全てを話したのだった。

 

「・・なんだ、やっぱり恋煩いかよ。」

俺の話を聞き終わるなり、目元に笑みを浮かべたまま山野辺は口を開いた。

机に頬杖をつきながら答える俺。

「だから違うって。けど嫌われてるってわかってるのに一緒にいるのは辛いだろ。」

「別にキリュウちゃんがそう言ったわけじゃないんだろ?気になるなら本人に聞いてみればいいじゃん。」

「そうそう。」

「そうだよ、太助君。」

絶妙のハーモニー。そんな同時に言わなくたっていいじゃないか。

まぁでも、確かにこいつらの言うコトももっともかもしれない。

人に言われてってのがちょっと情けないけど、一人で悩んでても仕方ないし、キリュウに聞いてみようかな・・・・

「よし。」

一言呟き、立ち上がる。

「ありがとな、帰ったらキリュウに聞いてみる。」

 

・・・そうだよな、もしかしたら俺の思い過ごしかもしれないんだから・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Scene3

 

「・・・・んん・・・」

 

夢うつつの意識のなか、私は薄く目を開けた。

・・・どうやらまた寝過ごしてしまったようだ。

視界の端に映った時計を見て、軽い自己嫌悪に陥ってしまう。

私は主殿に試練を与えるために存在している。それなのに・・・私自身がこんなことではどうしようもない。

「・・・もう12時過ぎか・・・」

主殿は今頃学校だろう、私も今から行かなくては。

重い体を動かしてベッドから降りると顔を洗いに行く私。

結局、着替えて一階に下りた頃にはもう1時になろうとしていた。

台所を覗くと机の上にラップに包まれた食事が置いてあった。

 

『先行ってるから。来れるようなら来いよな。』

 

主殿の書き置きと一緒に・・・・

 

 

 

・・・・・不思議。

 

本当にそう思う。

主殿は不思議な人だ。

私は永い時間を生き、多くの主に試練を与えてきた・・・けれど、主殿のような人には初めて出逢った。

試練を与える・・・それが私の役目。

嫌われても、疎まれても、それが私が存在する理由。

それがなくなったら、私は生きていけない。

・・・ずっとそう思って生きてきた。

実際、幾度も幾度も嫌われて、疎まれて・・・ときには召還されてすぐに短天扇に戻されたこともあった。

でも、主殿は違う。

毎日嫌な顔ひとつせずに試練を受ける。不平も言わない。いつも微笑んでいる。

そして今もこんな書き置きを残してくれている・・・・・

主殿は・・・私が疎ましくないのだろうか・・・

私は嫌われて当然のことをしている、自分でもそれはわかってる。

数千年の昔からそれはずっと変わらないし、こんな平和な時代ならなおさら・・・

 

『試練なんて好きこのんで受けたがる人間はいない、嫌われて当然なんだ。』

 

ずっと、ずっとそう思ってきたはずなのに・・・・

『本当は主殿も私を嫌っているのではないか?』

そう考えるたび、不安になる私がいる。

なぜだろう・・・これまでは嫌われても、当たり前だと思っていられたのに・・・・

 

椅子に座ると、私は主殿が作っておいてくれた料理を口に運んだ。

主殿は料理が上手い、食事はいつも主殿が作ってくれる。

・・・そのはずなのに、私は味を感じなかった。

箸を置く私。

 

「・・・・・・・」

無言のうちに視線を落とす。

これから学校に行こうと思っていたけれど・・・今は主殿に会いたくない。

こんな気持ちのままだと、辛いのがわかっているから。

 

「・・・私は・・・変わってしまったのだろうか・・・・」

 

そして・・・それは許されることなのだろうか・・・・

 

心の中を探してみても、どこにも答えはみつからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Scene3

 

夕暮れの寂しげな光のなか、太助は家路を急いでいた。

その胸には揺るがぬ決意が秘められている。

 

「ただいま〜・・・」

 

玄関のドアを開けると控えめに声をあげる太助。

靴を脱ぎ、廊下を歩きながら彼はどうやってキリュウに切り出すか思案していた。

(『キリュウ、俺のコト嫌い?』じゃいくらなんでもなぁ・・・でも『俺のコト好き?』ってのもなんか意味が違う気がするし・・・)

制服のまま、キッチンへと入る。

テーブルの上を見ると殆ど手つかずの料理が目に入った。

「あれ?キリュウのやつ、どうかしたのかな・・・」

具合でも悪いのか・・?そんなことを考えながら、一応洗い物を流しに持っていく。

自分でも気づかぬうちにすっかり主夫業が板についている太助であった。

「お〜い、キリュウ〜。」

心持ち大きな声でそう言いながらリビングを覗くと、そこにはソファに寝そべるキリュウの姿があった。

ゆっくりと近づきながら、思わずその寝顔に見とれてしまう太助。

(・・やっぱキリュウって綺麗だよな・・・って、変態か、俺は!!!)

手の平で幾度か自分の頬を叩くと、太助は中腰になってキリュウに声をかけた。

「おい、大丈夫か?キリュウ。」

「・・・え・・・主殿・・・?」

肩を揺らされて気がついたのか、目をこすりながらキリュウは呟いた。

「ああ、ただいま。メシ食べてないみたいだけど・・・具合でも悪いのか?」

言われてキリュウは辛そうに俯いた。いや、見た目には普段と変わらなかったが太助にはそう思えたのだった。

「・・・あんまり無理するなよ。そうだ、腹減ってないか?良ければ何か作るけど。」

それには答えず、キリュウは上目遣いに太助を覗き見た。

太助の言葉、純粋に心配からきているそれを聞いても彼女は素直に喜べなかった。

数千年の永きに渡って傷つけられてきたキリュウの心は、彼女自身が思うよりもずっと堅く閉じられていたのである。

  

一方、何も言わない俯いたままのキリュウを見て、太助はまたも不安に押しつぶされそうになっていた。

(・・・やっぱり・・・俺のコト嫌いなのかな・・・・)

だが、それを聞くと決めたのだ。太助は悲愴とも言える決意を胸に口を開いた。

「・・・なあ、キリュウ・・・・」

ゆっくりと・・・ひどく困難そうに・・・太助は言葉を紡いでいく。

「・・ホントに無理すんなよ・・・俺のこと嫌いなら、そう言ってくれ・・・・無理に引き留めたりはしないから・・・」

まさに血の滲むような辛さだった。淋しかった、苦しかった。

だがそれら全てを心の奥底にしまいこんで、太助はなんとか言い終わったのだった。

(・・・・・・・・)

それ以上何も言えずにただキリュウを見つめる太助。

そんな今にも泣き出してしまいそうな太助が聞いたのは、全く予想外の言葉だった。

 

「・・嫌っているのは主殿のほうだろう。」

 

それがどういう意味なのか、太助は瞬時には理解できなかったが、それよりも今のキリュウの姿。

涙こそ流していないものの、その痛々しい様子を見て太助は何も考えられなくなってしまっていた。

 

 

(・・・・やはり・・主殿も私を疎ましく思っていたのだな・・・・・)

暗澹とした意識のなかでキリュウはそう思った。諦めにも似た感情がキリュウの心を支配していた。

仕方がない、いつも通りのことなのだと自分に言い聞かせても効果はない。

キリュウは俯いたままだった。これ以上太助の姿を見ているのは辛かった。

(主殿・・・すまなかったな。私は短天扇に戻ることにする・・・・)

それは幾度となく口に出してきた言葉だった。数え切れないくらい、幾度も、幾度も。

だが今、それが太助の耳に入ることはなかった。キリュウが口を開くよりも早く、太助が声をあげたから。

 

「違う!!俺はキリュウのこと、嫌ってなんかない!!!!」

 

 

・・・・不思議。

 

(・・どうしてこの人はこんなことを言うのだろう・・・)

驚くより、純粋に不思議だった。だが一瞬遅れて心があたたかくなっていくのを感じた。

「俺、キリュウに感謝してる。試練は辛いけど俺のためにしてくれてることだし、絶対に嫌ってなんかない。」

「・・・私は・・迷惑ではないのか・・・?」

どこか呆とした様子のキリュウの言葉に、太助は頭を振るとはっきりと答える。

「違うよ。俺は・・・キリュウにいてほしいんだ。この家に・・・・・」

キリュウにとって、それは初めて聞く言葉。心の底で、本当はずっと望んでいた言葉。

自分でも気づかぬうちに、彼女の瞳からは涙が一筋流れ出ていた。

瞬きをするのも忘れ、キリュウは太助を見つめる。自然に唇が動いた。

「・・・私は・・私は永い間、嫌われ、疎まれ続けてきた・・・それが普通だと思っていた。

でも今・・・私はすごく嬉しいんだ・・・・ほんとうは・・・ずっと嫌われるのは嫌だったのかもしれない・・・・・・・・」

言葉はなにも出てこなかった。気がつくと、太助はキリュウの手を取り、両手で包み込むように握りしめていた。

しっかりとキリュウの瞳を見据え、太助は口を開く。

「大丈夫だよ、キリュウ。ここにはキリュウを悪く言うやつなんて一人もいない。

それに・・・もしそんなやつがいたら俺が許さない。俺達・・・もう・・・『家族』だろ?」

太助の視線にとらわれたかのように、キリュウは少しぎこちなく頷く。

静かに太助の手を握り返すと、キリュウはとても長い時間をかけてにっこりと微笑んだ。

 

「・・・ありがとう・・・主殿は、優しいな・・・・」

 

その笑顔は太助の想像とは比べものにならないほどに美しく、神々しいとさえ思えるほどだった。

だが驚くより、見とれるより、なによりも太助はキリュウが笑ってくれたことが涙が出るほど嬉しかった。

それを悟られぬよう、できるかぎりの笑みを浮かべると太助は微笑みがえす。今の彼の喜びがキリュウに伝わることを願って・・・・

 

 

・・・・・・・それは、二人が本当に『家族』になった瞬間だったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜後編へ〜

 

 

  


 

後編へGO!

 

新薬臨床室に戻る。

  

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